平成26年度米原市平和祈念式典式辞

更新日:2017年11月30日

 本日ここに、戦没者の御遺族をはじめ市民の皆さまならびに御臨席賜りました御来賓の方々をお迎えし、平成26年度米原市平和祈念式典を挙行(きょこう)するに当たり、先の大戦で犠牲となられた全ての御霊(みたま)に、謹んで哀悼の誠(まこと)を捧げます。

 先の大戦から69年の歳月が過ぎようとしています。遠い異国の地での熾烈(しれつ)な戦いの中で祖国を思い、家族の幸せを念じつつも戦場に倒れ、海に没し、また、飢えや病に苦しみながら帰らぬ人となった方々、さらに、沖縄での地上戦や本土での激しい空襲によりかけがえのない命が無残に失われました。

 また、最愛の肉親を亡くされ、今日に至るまで深い悲しみを抱きながら、長い苦難の道を歩んでこられました御遺族の方々がおられます。

 その尊くも痛ましい戦争犠牲者に対し敬意と哀悼の意を表し、御冥福をお祈り申し上げます。

 今日、私たちが当たり前に過ごしている平和と繁栄は、祖国の安寧(あんねい)と家族の幸福を願いつつ戦禍の中で散華(さんげ)された、尊い犠牲の上に築き上げられたものであることを決して忘れてはなりません。米原市の子どもたちも、平和学習をとおして、戦争を体験された方のお話を聴き、平和であることの喜びをかみしめ、戦争の恐ろしさ、悲惨さを忘れず、次の時代に伝えていくことを心に誓っています。

 しかし、世界に目を転じてみますと、イスラエル軍によるパレスチナへの侵攻など、今なお各地で紛争やテロによる多くの尊い命が奪われる惨事が続いています。さらに、「核の抑止力」への依存により、いまだ多くの核兵器が保有されていることも事実であり、核兵器のない平和な世界を脅かす要因は根深く残されたままとなっています。

 とりわけ本日8月9日は、長崎に原子爆弾が投下された日です。69年の歳月が経過した今でも、原子爆弾による被爆後遺症に苦しむ歳月が続いている現実があり、核兵器の脅威とその被害の根深さは計り知れません。

 一方、国内においては、本年7月に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更が閣議決定されました。本来の憲法改正の手続を踏まず、武力行使につながる憲法解釈変更の閣議決定を現政権内の協議のみで行ったことは、立憲主義を覆す、日本国憲法の定める平和主義の根幹に関わる重大な変更であります。

 核を持たず、作らず、持ち込ませずの非核三原則を全世界に訴え、戦争の放棄、恒久の平和を誓った非核・平和都市宣言を、平成17年6月米原市議会において全会一致で議決している米原市として到底容認できるものではありません。

 市民の意思を代表する米原市議会においても、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に反対する意見書が提出され、可決されています。

 さらに、福島第一原子力発電所の事故からは3年が経過しましたが、一向に事故収束の兆しは見えず、その原因究明もされていません。

 放射能汚染は、同心円的な拡大でなく、短時間に特定の方向に放射性物質が拡散して、遠く30キロメートルを超えた地域においても極めて高い放射線量が計測されています。本市は、福井県の敦賀原子力発電所から35キロメートルから60キロメートルの距離に位置し、多くの市民の皆さまが、原子力災害、万一の原発事故に対し漠然と、しかし大きな不安を感じておられます。

 今や、科学技術でコントロールできないことが明らかになった核の脅威、安全神話が崩れた原子力災害は、原発に依存しない社会の実現に向かって、人々を動かしています。

 来年は、戦後70年、米原市合併10年を迎えます。不戦の誓いが揺らいでいるこの時期だからこそ、戦争犠牲者、御遺族の御意志である平和の尊さ、戦争の悲惨さを次代に引き継ぎ、戦争の歴史を繰り返さないことを御霊(みたま)の前にお誓いいたします。

 核と人間の共存はできません。非核、平和、不戦の誓いとともに希望に満ちた平和な米原市、希望都市まいばらを築くことをあらためて決意し、本日御参列いただきました来賓の方々、戦没者御遺族、皆さま方のますますの御健勝と御多幸をお祈りいたしまして式辞とさせていただきます。

平成26年8月9日
米原市長 平尾道雄

この記事に関するお問合せ先

本庁舎 政策推進部 広報秘書課(秘書)

電話:0749-53-5160
ファックス:0749-53-5148

メールフォームによるお問合せ