平成26年6月市長訓示(要旨)

更新日:2018年01月23日

6月2日(月曜日)

 皆さん、おはようございます。毎月この例会ごとに、本当にひと月が早く流れると思います。

 5月の例会でも申し上げましたが、米原市内では、さまざまな祭り、イベント、あるいは伝統行事が盛んに行われています。今月は、その中に多くの職員の皆さんがいらっしゃったということを付け加えておきたいと思います。皆さん方がその地域で、地域行事に、あるいは祭礼行事等に関わりを持っていることで、米原市役所、あるいは米原市職員の評価が、変わり始めていると私は受け止めています。今までですと、「市の職員がやっているわ」というふうに言い捨てられていたものが、「市の職員さんが参加していてくれるんですよ」と。「しかも、ほとんど彼らにいろいろお任せをすると、事がうまく進んでいく」ということを率直におっしゃる市民の方にも私は今回たくさん出会いました。皆さん方は、地域に根を生やして活動をしていらっしゃる。人間の生き方、人生の歩み方として、どの範囲で付き合っていくのかということは、実は職場そのもの、市役所そのものを評価していただくきっかけになるということを思いながら、そして、自信を持ってほしいということを冒頭少し付け加えておきたいと思います。

 先月、東京で行われた全国首長連携交流会に参加させてもらいましたが、そこで聞いてきた話を1つだけ報告したいと思います。都道府県の中でも、高知県の例として聞きましたが、もう縦割り行政は限界で、横つなぎでどうするのか、地域や県民にどう向き合うのかという視点で、さまざまな動きがかなり本気になって、始まっているということです。その中で1つの例として挙がっていたものが、イギリスにポストバスというものがあるようで、ポストバスというのは、日本の宅急便のようなものが荷物だけでなく、当然のように人も運んでいるそうです。しかもそのステーションたるや、行政の我々が言うコミュニティセンター、行政サービス機能を持ったものがあると同時に、ガソリンスタンド、郵便局、コンビニもあるとのことです。まちの真ん中にあらゆる生活サービスを提供するものが1か所に整っていると。日本のように民間の宅配業者、個人のガソリンスタンド、行政の施設、郵政の施設と、バラバラで、まさに縦割りで市民や地域に向き合っているのではなく、極めて効率的に整備されていると。自然発生的な流れなのか、いわゆるヨーロッパ型の地方自治の姿なのか詳しくは分かりませんが、そのステーション、寄り合いの場所には当たり前のようにカフェやランチに人が集まって、わいわいがやがやと地域のことを話されている。そして当然のようにその2階で議会が、しかもそれが休日や夜間に、議会が行われている。地方自治の原点のような話を聞いてきました。そして、おそらくそのような方向に日本も向かうのではないかと。すぐにそれが日本で実現したり、その方向性が全て正しいとは、私は申し上げませんが、今、地方分権と言われている中で、これからの地方自治、あるいはこれからのまちづくりをどうしていくのかという点で、そのような視点を持つことは大切だと思います。自らが見える範囲だけを見ているのではなく、将来を見据えた視点を是非職員の皆さんには備えてほしいと思います。

 5月はエネルギー問題で象徴的なことが市内でございました。民間の建設会社である株式会社昭建がソーラー発電所を完成させてくれました。冬には「米原・関ヶ原間、積雪のために徐行しています」といったニュースが流れますので、米原という地名を、東京や、あるいは九州、大阪で言うと、大体の方が最初に雪のことを言ってこられます。米原は、相当雪が降るところだろうと思われています。そして私たちも、寒くて雪が降ったら発電なんてできないだろうという先入観に陥り勝ちです。しかし、今の技術では、雨が降っていても十分な発電量があるそうです。要は明るければ発電ができるということです。自分たちの住む地域のマイナス部分だけを見るのではなく、むしろ積極的にそのようなことができる場所がまだまだあるという観点を持つことを含めて、クリーンエネルギー事業に評価を与えていきたいと思いますし、行政としてもその方向性を持ちたいと思います。

 このエネルギーに関して、先月、大飯原発3号・4号機の再稼動に対する福井地裁での判決がありました。私はその判決を見て、思わず声が出てしまいました。判決の文章の中で感銘を受けた箇所を読みます。「被告(関西電力)は本件原発の稼動が電力供給の安定性・コスト低減につながると主張するが、当裁判所は、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える。」少し飛ばしますけども、「本件原発の運転停止で多額の貿易赤字が出るとしても、国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考える。」さまざまな評論がありますが、裁判官は人間の生存権と電気代の高い低いの問題を同列に並べて議論することの愚かしさということを、私たち市民の言葉で平易に説明されたと思います。要はお金の問題ではないでしょう、命の問題でしょうということです。その中で生存権の問題についてですが、「人々が平穏に生きること」、「人々が平穏に暮らすこと」、このことをどう保障するかが、都道府県でもなければ、国でもない、基礎的自治体である私たち市・町の使命、あるいは課せられたミッションだというふうに私は考えています。私は今、市長という立場にいます。自治体の長として、市民の平穏に生きる、あるいは暮らす権利について懸命になる、発言をすることについて、私はどんな批判があろうとしていきたいと思っています。先月、脱原発をめざす首長会議も京都でありました。その中でも避難の問題、避難経路、避難計画の問題について発言をしてまいりました。市民の生活権を保障するために私たち自治体は仕事をしているという思いに立って、この原発問題についても、他人事ではなく、自らの思い、時には自らの主張も、私は持って然るべきではないかと考えます。

 そういう点で、6月議会で水源の里条例の改正がどのような議論がされるのか気になっております。原発問題とどこかで繋がっていると思うのですが、要は金銭、損か得かとか、儲かるか儲からないかという経済的な合理性や効率性、そのことをずっと追い掛けてきた高度経済成長の中で、限界集落も生まれざるを得なかったし、水源の里という新しい表現を持ち出さざるを得ない事態に今陥っていると、私は思います。お金がなくても幸せだと、満足だと言えるところが日本にはまだまだたくさんあります。それが私たちの暮らしているこの中山間地域です。山があって、森があって、水があって、食糧が自給できる。そういう暮らしの多様性を持っている、この田舎(私は「田舎都市まいばら」と言ってきましたが)でこそ、本当の幸せが得られますよということを、もう一度声を大にして言っていくことが大きな未来展望の中で、まちづくりの方向性として大切ではないかと思います。私はこれからも勿論、企業・産業誘致も頑張りたいと思っています。しかし、そのことだけでなく、ここで子どもを産んだり、ここで結婚をして、人生をスタートさせることが素晴らしいことなんですよということが人々の心の中にあり、そういう自信、矜持(きょうじ)、プライドを持つこと、そのことが何よりも人間の生き方として大事なことだと思います。「田舎ですからねぇ」、「不便ですからねぇ」、「山ばかりですからねぇ」という言葉ではなくて、「山があって素晴らしいんですよ」、「田舎で不便だけど皆助け合ってるんですよ」と。そういうことに自信や誇りやプライドを持って、米原市職員は、米原市全体を水源の里、淀川水系の上流にあって、京阪神の人たちに安全を届けている、おいしい水を届けている、豊かな財産があるまちなんだと誇りを持ち、市民、そして何よりも次世代の若い人たちに向き合う仕事をしてほしいと思います。私は、挨拶をさせていただくときに、つい同じことを繰り返してしまいます。「子どもがいるではないですか」、「子どもの声が聞こえるではないですか」と。子どもがいるということは未来があるということです。その未来のため、特に次世代を最優先していく、そういう大人の振る舞いや判断をしていきたいと思います。また、それが私たちの今の使命、今の責任の果たし方だと思います。言葉だけではなく、米原市役所、本当に市民に向けて平成26年度にどんな成果を出せるか、未来に何が残せるか、そういう高い使命感を持ちながら、この6月の仕事の成果を出してほしいと思います。いよいよ5日からは定例会が始まります。是非皆さん方には、今現在取り組んでおられる仕事について、26年度には成果を出す、あるいは結果を残す、そういう方向で努力をしてほしいと思います。6月の成果は夏の暑さに打ち勝ち、そして、冬の厳しさに打ち勝つ、そのための準備でもあります。どうぞ、この6月も目一杯頑張って汗を流してほしいと思います。

 併せて、6月は水害等危険な状態も我々に襲ってくる可能性が十分にあります。職員一丸となって、地域に、そして市民の皆さんに向き合ってほしいと思います。少し長くなりましたけれども、今月もどうぞよろしくお願いします。

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