未来に伝えたい「まいばらの水」選定箇所のご紹介
更新日:2017年11月30日
2つの名水を有する米原市には、ほかにも多くの美しい湧き水や滝、そして水にまつわる生活文化が存在します。
昔、水はもっと私たちの身近にあり、地域で大切に守られ、その恵みも脅威も肌で感じることができていました。しかし、水道の蛇口をひねればあたり前のように水がでてくる便利な社会の中で、これらの水や水を育む山、森といった地域の自然と私たちのつながりが薄れ、自然の恵みによって生かされていることが見えにくくなってしまいました。
そこで、ありとあらゆる生命の源である「水」と私たちの暮らしを再び結び直し、水源の里まいばらの美しい水環境を次世代に引き継いでいこうと、平成24年9月に「未来に伝えたい“まいばらの水”」を選定しました。「まいばらの水の旅」を通して、忘れられつつある水や水を育む森の大切さ、自然と共に生きる意味を改めて感じていただき、地球の美しい水環境を未来へ引き継いでいくきっかけとなることを願っています。
まいばらの水MAP「slowなまいばらの水旅」は次のリンクからご覧いただけます。
1.白山神社湧水≪水map1≫
曲谷(まがたに)
神社の周辺一帯は湧水地帯で、付近の家では湧水池を作り生活用水として利用されてきました。1年を通して水温はほぼ一定であり、積雪量もこの一帯だけは集落の半分程度だったと言われています。夏には飲み物を冷やしたり、冬の除雪作業時には手を温めたりするのにも使われていました。白山信仰との関わりもあると考えられ、神社の御手洗の水も湧水です。硬度は14.1の軟水です。
2.奥泉口(おくいずみぐち)≪水map2≫
小泉
伊吹山中腹にあったと言われる太平寺城の峰堂のあちこちから湧き出し、これを集めて流れ出すのが、奥泉口です。奥泉は縄文の遺跡であり、太古からの湧水が数千年の歴史とともに溢れ出ています。水量が多く、とても冷たくて、清涼な水です。
3.桶水(おけすい)≪水map3≫
小泉
伊吹山の断崖の水を集めたかと思われるほど滔々と湧き出る水量豊かな山麓の湧水です。幻の伊吹城の用水であったとも言われており、江戸中期以降山形藩によって水路工事も行われています。三方石畳み方式の水路は貴重な文化遺産であり、歴史ある湧水です。源流は大富川不動滝、あるいは美濃からの伏流水などといわれていますが、詳しいことはわかっていません。湧水地点は小泉ではありませんが、水利権は小泉にあり、昔から田用水や生活用水として利用され、現在も棚田を潤しています。硬度は79.6の中硬水です。
4.ケカチの水≪水map4≫
上野
伊吹山登山口付近の洞窟から湧き出る水量豊かなこの水は、古くから地域の飲料水や生活用水として利用され、現在も生活用水や田用水、消雪用水として利用されています。
また、昔は山岳修行の行者たちが山に入る前にこの水で身を清め、山中の行場を巡って山頂の弥勒堂を目指しました。その修行の一つに、これまでの罪過を悔い改め、天下泰平などを祈願する「悔過の行」というものがあり、また、かつてこの辺りには「お池さん」と呼ばれる泉があったとされ、ケカチの名の由来は「悔過の池(ち)」からきているとも言われています。ここには古くから滝があったという伝承や、あらぶる伊吹山の神を征伐に来た日本武尊が神に敗れ命からがら辿り着き、この水で正気を取り戻したという伝説も残されています。硬度は110.4の中硬水です。
5.行者の水≪水map5≫
弥高(やたか)
弥高百坊跡から上平寺(じょうへいじ)城跡に向かう道の途中の谷に、役(えん)の行者堂(弥高護国寺開基の祖といわれている役の行者が祀られている岩窟)があり、その少し奥の岩盤の割れ目から清水が湧き出ています。ここは、昔の弥高集落の水源地でもあり、今でも涸れることはありません。かつては、弥高百坊の僧侶たちを支えた水とも言われています。
6-1.臼谷・小碓谷の湧水「臼谷(うすだに)」」≪水map6≫
春照(すいじょう)
伊吹山麓に湧き出す湧水で、昔この一帯は森で、水量も今よりもかなり多く至るところから湧き出ており、どこが川か見分けがつかないほど一面に水が溜まっていました。小碓の清水と呼ばれ、日本武尊が山を降りて、この清水を飲んで目覚めたという伝説がここにも残されている。
6-2.臼谷・小碓谷の湧水「小碓谷(おうすだに)」」≪水map7≫
間田(はざまた)
伊吹山麓、臼谷近くの長曽(ながそ)と呼ばれるところの小碓谷に湧き出る清水で、ここも日本武尊伝説が残る場所の一つで、毒にやられた尊がこの水を飲み、目覚めたと言われています。この水は主に、田用水、生活用水として利用され、かつて小川沿いにはたくさん洗い場がありました。湧水は水温が一定で夏は冷たく冬は暖かいため、洗い物などには重宝されていました。硬度は140の硬水です。
7.白清水(しらしょうず)」≪水map8≫
柏原(かしわばら)
中山道近く、集落の外れにある湧水です。古くから、白清水または玉の井と呼ばれています。中世の仏教説話「小栗判官照手姫」によると、照手姫(てるてひめ)がこの清水に手を浸すとお化粧で白く濁ったという話が残されています。また、日本武尊の居醒めの清水の比定地の一つでもあります。硬度は12.5度の軟水です。
8.子宝の水」≪水map9≫
梓河内
集落の奥、民家が途絶えた林道の入口当りにひっそりと佇む神明神社に昔から湧き出ていた清水です。かつてはこの神社より奥に集落があったと言われています。集落ではお盆になるとこの水を汲んで仏壇などに供えていました。湧水を飲用することにより子宝に恵まれたという話もあり、地域では子宝の水として参拝する人もいました。夏には水量が減少します。硬度は92.2の中硬水です。
9-1.宇賀野(うかの)湧水群「神明公園」」≪水map10≫
宇賀野
宇賀野集落では、いたるところから清水が湧き出ています。この神明公園の辺りは、かつて竹林から湧き出る美しい水が集落内を流れ、人々の生活と密接な関わりを持っていました。竹は野菜や花の支柱、掛け干し(刈り取った稲を田の中で干すこと)用の稲架(はさ)など農業にも広く利用されていましたが、時代の変化と共に利用されなくなり、竹林は荒廃して藪と化してしまいました。そこで平成16年、県の事業により湧き水を活かし、多様な生物が生息しやすい自然公園として整備されました。公園近くの竹藪からも水が湧き出し、そこから流れ出る川は途中で坂田神明宮の湧き水も合せて、琵琶湖へ注ぐ「寺川」へと流れています。硬度が103.5の中硬水です。
9-2.宇賀野湧水群「生水川」(しょうずがわ)」≪水map10≫
宇賀野
戦国武将で後に土佐22万石を治めた山内一豊の母、法秀院が住んでいた長野家からも清水が湧き出ています。ここから集落内へ流れる川を生水川といい、この川も下流で寺川に合流しています。
10.世継のカナボウ≪水map11≫
世継
カナボウとは、水の湧き出ている泉と洗い場を総称した名称で自噴井戸のことをいい、世継集落には多くのカナボウが存在しています。水源は遠く霊仙山に発すると言われ、カナケの水です。水源の深さは約100メートルで、年中一定の水温(約16度から17度)を保つことから夏は冷たく、冬は暖かく感じられます。共同利用されてきたためか道に面して作られている所が何箇所もあるほか、個人宅でもカナボウのある家や、田の中にあって田畑の灌水用に利用されたりしているものもあります。上水道ができるまでは、飲料水や生活用水などあらゆるものに利用され、人々の交流の場でもありましたが、現在は野菜洗いや夏場の果物や飲み物を冷やすための水として利用されています。道路の整備や建物の新築によりその数は減っていますが、公共のものだけでも集落内に5箇所あります。
11.十王水と西行水「十王水」≪水map12≫
醒井(さめがい)
中山道沿いの湧水で地蔵川へと流れています。昔、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)という僧侶が山の岩石の下をへこめたところ、清水がコンコンと湧き出し、その後いかなる大干ばつの時も水が涸れたことがないと言われています。近くには十王堂があり、後世になって十王水と呼ばれるようになったと伝えられています。
11.十王水と西行水「西行水」≪水map13≫
醒井(さめがい)
十王水と同じく中山道沿いにある湧水です。平安時代頃に、仲算(ちゅうざん)という僧侶が岩を削って水を出したという伝承が残されているほか、昔、西行という僧侶に一目ぼれした茶店の娘が、西行の飲みほした茶の泡を飲んだところ、身ごもり男の子が生まれ、これを聞いた西行が「まことに我が子なら元の泡に戻れ」と唱えたところ泡に消えたという昔話も残されています。
12.天神水≪水map14≫
枝折(しおり)
地域で大切に守られてきた湧水で、集落内を流れる枝折川の源流でもあります。菅原道真公を祀っていることから知恵の水とも崇められ、池の中にある灯篭には「灌田水」と刻まれています。地域では子ども会の年中行事「天神祭り」が古くからの伝統行事として毎年行われています。硬度は100.6の中硬水です。
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