第8回米原市まちづくり基本条例をつくる会(その5)
更新日:2017年11月30日
意見交換(その4)
市民
交通の要衝ということですが、米原市の企画の中に言葉の使い方で交通結節点という言葉が使われている。
ここは、それぞれのまちにまたがった交通機関ひとまとめと言われるが、その中で結節点という言葉を使ってみてはどうかと思う。
富野教授
後、どうでしょうか。地理的には交通の要衝であって、文化や歴史を考えると結節点になるということでしょうか。
文化・歴史は必要ですが、中身はどうでしょうか。文化とはどういう文化なのでしょう。この地域ならではの文化もあるのでしょうか。
職員
前文に扱えるかどうかは別として、社会的なバックボーンとしていろんな西の文化、東の文化と言われるものも自分達なりに考えてきたような地域柄であるように感じるし、東西も含めてうまくまとめられればと思う。
伊吹山の植物形態についても高山植物を守っていくことなど、歴史的な背景も組み合わせてそういった土壌であったということで結び合わせていくべきではないかと思う。
富野教授
この地域が独自の文化を育ててきたのか、文化の接点として機能してきたことに重点を置きながら、つまり東西文化の接点である。
あるいは渡来文化、最初の地域として日本古来の文化は、いろんな歴史の中で文化の接点であるという地域である。
歴史性と文化性の中では、この地域は東西の文化をある時点で生み出したといくのか、それとも接点として機能し、地域としての性格を営んできたのかという問題がある。
この地域独自の文化というものを、そういう意味では非常に強調されることがある。接点としての機能が大きかったと思う。
市民
この地域は文化の交流道である。
この地域独自の文化というと難しいが、関ヶ原と柏原では本当に日本の東と西を分けるような地域である。そういう特異な地域である。
生活様式の暮らしの中で、ここはよく言われるのはおもちのことが言われる。 角餅か丸餅かということは、柏原のところで分かれる。
両方が混在している地域でもある。
そういう意味では東の文化と西の文化が混在している地域かと思う。 縄文や弥生の歴史の中では、確かに縄文もより遺跡を調べてみると、東の縄文の文化と西の縄文の文化があり、融合していく。
弥生の生活様式もそういうことである。
そういう意味では歴史的に東西文化の融合地点だったといえる。
その中でこの地域に住んでいる人は情報の文化を評価していくことが十分考えられる。
富野教授
交通の要衝であり、地域的なそれぞれの条件がある中で、地域文化に接し融合する。
そして地域の特徴、つまり結節点としての特徴がある。この中で地域が供給され、歴史がつくられる。
ですから、そういう認識は大事である。それでは、地域づくりの経緯と先人の努力についての中身はどうでしょうか。
地域づくりのどういう経緯が特徴的であるのか。
職員
この地域を見ていると自治会というのが機能していて、今も地域自治の一旦を担っておられるというので、コミュニティというのは一つの先人の努力ということで評価していいのではないかと思っている。
富野教授
地域の自治っていうことですよね。それを地域の人達が培ってきている。
地域自治ですよね。
ワーキンググループ職員
4町ともがそれぞれに地域のまちづくりをつくっていこうとしてきたわけだが、これから米原市が進めていく中では、本当にみんなと一緒にこのまちをつくっていくというような意識が必要である。
富野教授
自然単位だけでなく、いわゆる行政単位でのそれぞれ自律的にそれぞれの地域づくりを進めていくのが地域づくりになる。
そういうことですね。
市民
先人の努力は米原市を含めその他全部である。
米原市が一生懸命汗水たらして一次産業を真剣に行った地域特性である。それが段々と変化して今日になっている。
山を大事にするのが大きな先人の努力にあると思う。
抽象的ですが、一次産業を一生懸命やってきて今日があると言う気がする。
富野教授
この辺りで一旦切りましょう。
合併後の新しい市ということで新しい取り組みと意識にいく。4つのまちが合併して新しいまちになる、そのときに何を考えないといけないのか、新しい取り組みとして何を大事にしないといけないのか、このあたり、どうですか。新しい取り組みとはどういうことなんでしょう。
職員
地域性をお互いが認め合う、地域性を認識し合うということが、スタートになると思う。
何もかも新市になるのだから、伊吹の山麓もまた琵琶湖の湖岸も同じ色にしなければならない。
そんなことは非常にナンセンスであって、お互いに地域性を認め合うことが大事だと思う。
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