第7回米原市まちづくり基本条例をつくる会(その8)
更新日:2017年11月30日
富野教授によるワークショップ総括
(前ページからの続き)
この中で多数ではないですが、日本国憲法ができたときに、あのとき国民はどういうふうに受け止めたんだろうかにあると思う。
確かに憲法自体は、マッカーサー司令部と日本の政治家あるいは行政のトップの部分がかなりつくった。だけど平和主義であるとか住民主権であるところは、国民があれを見たときにものすごい深い感銘を受けた。
それでこれからのまちはこれでないといかんと本当にみんな全国民思ったと思う。今になってみれば、当時の状況は違いますから、憲法はいろんな問題があるとか、こういうふうに変えたらという議論はありますが、新しいまちはこういうふうにつくるんだと決めるときに希望を持って、こういうふうにいこうよという気持ちになる、そういう一人ひとりが参画するかどうかは別に、みんながそういう気持ちになれるかっていうようなものとしてつくっていけばすばらしいと思う。
だから、私は今日聞いて、皆さん少しお勉強しすぎた感じにとった。
絶対これはやりたい、誰が何て言ったってこうだっていうことを結構こういうことであって、それがぶつかりあいながらできていくと、少しそういうことがよくある。
だけど、そういう意味ではよく勉強されていて基本条例とはこんなものだというイメージがある程度、班の中でつくってくださったのでなかなかきれいにまとまっている。
実はそこが問題である。
あまりきれいにまとまりすぎていると、行き過ぎてしまう。これから逆に私の方から問題提起をさせていただいて、そう簡単にはいかんぞというところを少し皆さんと一緒に議論しながらやっていきたいと思う。
それを一つのきっかけとして一つ申し上げたいのですが、前文に対する議論がほとんどなかった。
このまちどうすんの、今どういうふうに考えているのっていう部分を、ここらへんをもう少し深く議論したほうがいいのではないでしょうか。
あるいは感じ取った方がいいのではないでしょうか。
例えば、米原という地域を考えたときに、どうでしょうか?米原は自分たちでまちをつくってきたところなんでしょうか。
確かに長い歴史がある。宿場町であるとか交通の要衝であって、自然と人の営みがつながっている。
これは自分たちが意識してつくってきたものなんだろうか、そうじゃなくて時代の流れとかあるいは性格的な米原の置かれている環境とか、自然に備わったものを地域の人たちで受け止めてやってきたというか、渡来人から始まっていろいろな他の地域から来た人たち、征服者であったり、支配者であったり、落武者であったり、いろんな人が来てそういう人たちが入り混じってつくってきたっていう要素もある。
だから、自治を考えるときに自分たちはこうなんだというだけじゃなくて、要するに時代によって活かされてる、自分たちの力だけでなくやってきた、そういうまちのあり方を、いろんな人たちの力を結集できて全国にあるいは世界に米原から発信できるような自治のあり方というものが、本当は米原の本質としてあるんじゃないか。
そういう点から考えると、やはり前文をどういうふうにつくっていくのか、このまちが歴史的にどういうまちだったかというときにどういう理解をするのか、俺たちがつくってきたんだというだけじゃなく、人からいかされてきた時代の流れの中で非常に重要な規制学的なものでこのまちがつくられてきた。
ではこの次の世代にどうやって活かされていってそれがこのまちに住む人たちを含めて全国の人たちに対して何を発信できるのかという、そういうようなものも前文としては本当はあるとすごくいいと思う。
そういうようなところを本当はきちんと議論していきたい。
前文で今このまちは歴史をどう捉えて、環境をどのように捉えて、このまちの性格はどういう性格であってこれからどういうまちとしてやっていこうかというときに、そういうところの議論も少しやっていただいて、さすがに米原市こうだよねというところを外の人が納得できてしまう、そういうものがつくれるといいと思う。
自治基本条例つくるときには単に仕組みをつくるだけではない。
自分たちがこれだったらやっていけるなと、これでいけるんだというところをつくる足がかりである。
そう意味で皆さんにはきついことを言ったかもしれない。
環境や歴史だというのじゃなく、どういうような内容をもった環境であり、歴史であり、それから私たちが発信できたらどういう要素があってこれからそれをどういうふうに活かしていけるのか、私たちは自分たちのまちについて、世界に対して、あるいは日本全体に対してどういうことを貢献できるのかを含めた理念をつくっていくべきだと思いません?
だから前文一つとってもなかなか大変な作業である。議論が必要であり、いろんな論点から考えなければいけない。
これは単に前文だけでなくて一つひとつの例えば情報の共有とか共同って言いましたが、それだって情報を持っている最終責任者は誰なのか、情報は誰のものなのかとういことを議論しないといけない。
誰のものかと決まったら、誰が管理していてどういうふうに使っていきたいのか、議論しないといけない。そういう意味では実は大変なかなか議論しなければいけないことと、理解をちゃんと深めたうえで文章にまとめていくということはすごく必要なことである。
多摩市の方ではそれにすごく時間をかけた。いやになるくらい時間かけて、結局やりすぎて疲れちゃったということもある。
でも、それぐらいやっても足りないくらいの内容はもったことでもある。
だけども私たちは新しい合併したまちとしてこれを私たち合併した市民すべてが基本をもったまちづくりができるかの条例を考えているわけなので、そこまで悠長な議論をしていることではないと思う。時間的制約だけではなくて、やはり新しいまちとして新しい市民が結集していく軸をどうやってつくっていくかについて少し時間的にはきついかもしれないけれど、高い議論をこれからやっていただいて、まとめていけるようにしたいと思う。
これからの作業は、単に皆さん、出したものをまとめて発表するだけではすまない。これから議論を深めていく。
皆さんが求めていることが必要で、皆さんも自分が納得できなければいけない。
納得できるまでやりたいということをこれからの作業として進めていきたいと思う。
今日はもう時間がないので、ここで留めておきたいと思う。これからのスケジュールが少し変わりましたのでスケジュールの変更と同時に皆さんに少し相談したいことがある。
9月11日に市民フォーラムやることになっていましたが、選挙のためこれは不可能である。これを変えざるを得ない。
そこで非常に難しい問題が起きてしまったと、私は9月は他の日は全く一日も余地がない。海外出張で日本にいないのでほとんど対応できない。
日程調整をしてみたけれど、実は全くだめだった。
もし、私がどうしても参加するってことであれば、9月中に1回も組めないことになる。
だから一つの提案は、9月中に市民フォーラムをやるという前提で一応、私を抜きにしてやっていただくようにするのか、それとも10月にずらして日程を再度決め直してその段階での市民フォーラムにするのかということが一つの選択肢がある。
できたらできたで、それなりの進め方がある。10月に伸びた場合は、その間をどういうふうに密度の高い展開をするための期間とするかというということをやらなければいけないので、まずこの選択をやりたい。そのあたりいかがでしょうか。
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