伊吹山麓の在来種「伊吹そば」

更新日:2019年09月09日

そば麺

伊吹山麓で古くから栽培されてきた在来種の「伊吹そば」。

このサイトでは、米原市の生産者が、交雑を防ぎながら守り続けてきた在来種「伊吹そば」の特徴や地域とのつながり、これまでの生産の記録を紹介します。

在来種「伊吹そば」が、地理的表示(GI)保護制度に登録

玄そば
GIマーク

2019年9月9日、生産地と結びついた特色ある産品の名称を保護する仕組みである、地理的表示(GI)保護制度に「伊吹そば」(農林水産大臣登録第85号)が登録されました。

在来種「伊吹そば」の特徴

抜き実

特徴1:「伊吹そば」は、小粒です。(主に直径4.5mm以下)

特徴2:「伊吹そば」の粉や麺は、甘皮(種皮)由来の淡い緑色です。

特徴3:「伊吹そば」の香りは、甘皮由来のそばの香りが強く出ます。

在来種「伊吹そば」の地域とのつながり

播種風景
開花風景

ポイント1:伊吹山の麓は、昔から上質なそばの生産地でした。

俳人松尾芭蕉の弟子の森川許六が編んだ『本朝文選』(1706年)には、「伊吹そば。天下にかくれなければ。」と、また、本草学者の小野蘭山が書いた『本草綱目啓蒙』(1803年)には、「本邦ニテモ信州及江州桃井伊吹山ヲ上トス」と記され、「伊吹そば」の品質は高く評価されています。


ポイント2:姉川の上流域は周囲を山に囲まれ、他品種との交雑が生じにくい地形です。

そばは、他品種との交雑を起こしやすい作物です。そのため、伊吹山の麓を流れる姉川上流域の周囲を山に囲まれた地形を生かして、1995年から滋賀県と地域の生産者が協力して、在来種(伊吹そば)の種子増殖の取組を開始しました。現在でも、姉川の上流域を採種場とする生産が地域の生産者によって続けられています。

在来種「伊吹そば」のあしあと

「伊吹そば」の起源

  • 「伊吹そば」の生産は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて伊吹山の中腹に開かれた太平護国寺が起源とみられます。
  • 当時、多くの修験者が伊吹山に集まっていたため、貴重な食糧源としてそばが栽培され始めたと思われます。
  • 太平護国寺の衰退後は、同寺の所在した太平寺村(1889年の町村制施行以降は、伊吹村の太平寺地区となります。)の名産としてそば栽培は継続されました。

「伊吹そば」の生産の記録

  • 江戸時代に膳所藩が編纂した『近江與地志略』(1734年)には、琵琶湖の船からも伊吹山の中腹に咲いたそばの白い花が見えたと書かれています。
  • 「元文己未(1739年)十二月写し」の記載がある「伊吹山之図」(重要文化財『彦根藩井伊家文書』、彦根城博物館蔵)には、伊吹山の西面にそば畑が描かれています。
  • 郷土史『伊吹町史』には、明治期の太平寺村にそば畑298か所と書かれています。
  • 1964年に太平寺地区が麓の集落に集団移住した後も、太平寺地区に近い峠地区で在来種(伊吹そば)の栽培が続けられてきました。

「伊吹そば」の復活

  • 1995年以降、姉川上流域の生産者は、峠地区から種子を導入し、「伊吹そば」の復活に向けて、徐々に生産面積を拡大させていきました。
  • 現在、姉川の渓谷沿いをはじめ、谷口から広がる米原市内にもそば栽培が拡大しています。
  • 2016年に在来種(伊吹そば)の生産者は、伊吹そば生産組合を設立し、地域一丸となった生産体制を構築し、現在に至ります。

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