石造宝篋印塔
更新日:2017年11月30日
所在地
滋賀県米原市長岡
説明
東福寺跡にあり、花崗岩製の157.5センチメートルの完好なもので、梵字や格狭間の文様は磨滅して判然としない。京極満信の墓と伝えられている。満信は、京極氏初代氏信の三男で、長岡荘を分領し、長岡京極氏とよばれた。享年34歳、弘安2年(1279年)長岡に葬られ、法名を東福寺殿と号した。
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更新日:2017年11月30日
滋賀県米原市長岡
東福寺跡にあり、花崗岩製の157.5センチメートルの完好なもので、梵字や格狭間の文様は磨滅して判然としない。京極満信の墓と伝えられている。満信は、京極氏初代氏信の三男で、長岡荘を分領し、長岡京極氏とよばれた。享年34歳、弘安2年(1279年)長岡に葬られ、法名を東福寺殿と号した。