石造物の宝庫 吉槻

更新日:2017年11月30日

吉槻の石仏の白黒写真

吉槻の石仏

山間交通の要衝 吉槻

峠の地蔵の写真

東草野は東西南北を結ぶ峠道が錯綜する交通の要衝です。なかでも七曲峠は最も重要な道で、麓の吉槻は交通の結節点としての役割を果たしてきました。吉槻の歴史景観を特徴付けるものとして石造物の多さがあります。

交通との関わりでは、七曲峠の「峠の地蔵」、南の上板並集落から吉槻へ抜ける小さな峠道の石仏も峠の地蔵として、かつて吉槻の学校へ通った子どもたちから親しまれていました。交通の要所に安全祈願のために置かれたものです。

吉槻の石造物は、単独のものや、集められたものが各所にあり、立地からは屋敷内で祀られているものと、道沿いに置かれたものに分けられます。後者は集積された事例も多く、砂防工事、道路工事などでの出土例が多く伝えられていて、もともとは地中にあったものが多かったと推測されます。

五輪塔や一石五輪塔の写真

中世の塚を思わせる高まりを中心に石仏、一石五輪塔などが置かれていて、もともとの墓地の状況をとどめていると考えられるものもあります。五輪塔や一石五輪塔はもとより、小型の石仏は本来、墓標として作られたと考えられ、その像容も持物から地蔵とわかる例はなく、ほとんどが墓標に共通する阿弥陀仏とみられます。集落縁辺部の墓地で用いられていたものが、時間の経過とともに移動され、次第に集落全体に拡散したと判断されます。吉槻の石造物は、これらを墓標としていた人の多さを物語り、中世末から近世にかけて、この地域が交通の結節点として大いに賑わっていたことの表れです。

姉川の矢穴石

吉槻の石造物の素材は、花崗岩と砂岩、凝灰岩に大別することができます。製品との関係では、一石五輪塔や五輪塔を刻む墓石は砂岩、凝灰岩製のものが圧倒的に多く、これらは、中世からおこなわれ近世の比較的早い段階に消滅するので、吉槻の石造物の古い様相を示しています。したがって、この地域の石造物は砂岩、凝灰岩製のものから花崗岩製へと変化したと推測でき、曲谷石など姉川の花崗岩の利用が近世になって活性化する状況を裏付けています。

吉槻集落下流の姉川橋の河原には石を割った痕跡の矢穴跡がある巨岩が点在しています。また県道沿いの斜面でも一点確認されました。吉野神社(吉槻)の参道石垣は、吉槻石と呼ばれる硬質の花崗岩で、すべて一つの岩から切り出したものだと伝えられています。石臼に適さない硬さの吉槻石は建材として利用されたことを示す資料です。吉槻の卓越した石仏の分布とあわせて、東草野地域全体で石材加工の伝統があったことをうかがわせます。

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