京極道誉

更新日:2017年11月30日

背の高い石で作られ、黄色い花が添えられている、京極道誉の墓の写真

婆娑羅(ばさら)大名道誉の活躍

 京極家の五代目当主で、婆娑羅大名と呼ばれた京極道誉です。鎌倉時代末期には、後醍醐(ごだいご)天皇の隠岐島(おきのしま)への配流(はいる)に幕府の将としてつき従い、捕らえられた北畠具行を柏原で斬首するという鎌倉幕府に忠実な武将でした。しかし、足利尊氏が蜂起するやいち早くはせ参じ、以後、一貫して行動をともにします。

 一方の佐々木本家六角時信は、最後まで北条氏に従い、六波羅探題北条仲時(なかとき)ら430名が番場の蓮華寺で自刃して、ようやく足利方に従います。時信はこのとき同族の道誉に仲介を頼んでいます。本家の六角氏が、分家の京極氏を頼らなければならなかったという出来事は、両家の力の逆転をみごとに表しています。

 続く南北朝時代は権力欲をむき出しにした泥沼化の様相を見せます。そのなかで道誉の先見性は発揮され、着々と幕府内での立場を固め、京極氏としてはじめて一国の守護(若狭国)に任ぜられ、建武6年(1338年)には近江守護に任命されます。やがて飛騨・出雲・隠岐三ヶ国の守護職も手に入れます。京極家繁栄の基礎は、まさしく道誉の獅子奮迅の働きによって固められました。

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